2月22日

今日は2月22日。2が三つ続いている。半角数字と漢数字を同居させる文章。もし自分が半角数字だったら、漢数字のことはうざったく思うだろうし、逆も然り。さらに事柄を複雑にさせるのは全角数字の存在。基本的に全角数字は使わないようにしているけど、ときどき全角数字で統一させたほうが収まりのよい書式がある。全角数字を使うと安心する。全角数字で住所の番地を書いたり、電話番号を書くことは、とても贅沢だと思う。今日は2月22日。半角の数字は冷たいけれど、全角の数字は温かい。「2月」はとても寒い月、「2月」は家の中で温まる月。いずれにせよ春が待ち遠しい。

 

春と聞いて思い出すのは、目黒の美術館。名前が思い出せない。寄生虫館とは反対側の、駅の東側にある美術館。何年か前の春、その美術館の庭園にいて寝転がっていたのを覚えている。芝生の上で。ちょっと風は強かったけれど、日差しは暖かくて、少し湿った芝生を背面に感じながら、寝転んでいた。感染症が流行る前の、最後の春。あの日差しの感覚、もう何もしなくていい感覚、それが春の休日の感覚だった。春を待っている。春の休日を待っている。

 

待つことは色々ある。一番よく待っているのは電車。最寄駅のプラットフォームは外なので(地下ではない)、今の時期は風が強くて寒い。けど待っている時間はあまり嫌いじゃなくて、特に何かするわけでもなく、ずっと前の景色を眺めている。覚えている曲を頭の中で流すと、すぐに数分経ってしまうので、待ち時間は苦ではない。昔より、並んでいる人の間隔も広がった気はする(ソーシャルディスタンス?)。仮に踊りたくなったとしても、周りの人にぶつからずにすむという安心感があるから、楽しく音楽を流しながら待てる。窮屈な場所で音楽のことを考えたくはない。

 

窮屈な場所はどこか。地下室。のある家に住んだことはないが、地下室のことはよく知っている。地下室に監禁された人の、再現ドラマのようなものを見たせいかもしれない。地下室で過ごす時間、何もない時間、暗闇の中で過ごす時間をいつも想像していた。ふと思い出したのは『パラサイト』のワンシーン。地下室に閉じ込められた男。パラサイトは、視覚のなかの触覚性みたいなものを大事にしていてよかった。色んなものに触る映画。壁の触り心地が良かった映画。

 

秀和のマンションを見ると壁を触りたくなる。あのザラザラとした壁が、ビンテージマンションのイメージ。現代であんな壁の建物を建ててはいけない。あの壁は人を傷つけるかもしれないから。触って楽しい壁は、どんどん減ってきている気がする。人間は触覚の塊でしかないのだから、もっと触り心地を探求すればいいのに。