マダン

マダン。川崎の韓国料理。土曜日の夜、まだ早い時間に、東口の仲見世通りを歩いていた。人は少なく、空いている店も多くはない。韓国料理屋を探していたのだけれど、よい面構えのお店には出会えず、そろそろ引き返そうと思った頃合いに、そのお店はあった。…

2月22日

今日は2月22日。2が三つ続いている。半角数字と漢数字を同居させる文章。もし自分が半角数字だったら、漢数字のことはうざったく思うだろうし、逆も然り。さらに事柄を複雑にさせるのは全角数字の存在。基本的に全角数字は使わないようにしているけど、とき…

みかん

東京駅八重洲口のトイレには、みかんがあった。東京の狭いトイレ。並んだ小便器の間にビニール袋が置いてあって、その中にはみかんが十個ほど入っていた。もちろん正確な数は数えていないが、3x3よりも少し多い気がしたので、十個ほど。その日は三が日の最終…

2022

年が明けたので文章を書く。最近は考えながら文章を書くのが嫌で、何も考えずに書くようにしている。ただぼーっとしながら、パソコンのキーボードの上で手が動いているだけ。キーボードの上の指の動きは軽やかで、踊っているようにも見える。踊りはなるべく…

言語の難しさ

言語を使う、とはどういうことか。それは、言葉を通して情報を吸収し、言葉を用いて人に何かを伝えるということだ。私たちは日常的に言語を使っているが、その作業は常に上手くいくわけではない。ここでは「読むこと」を切り口に、言語を扱うことの難しさに…

触ること、触れること

五感の中でも、触覚の果たす役割はどこか特権的だ。他の感覚と異なり、触覚は身体全体と関わっている。日常生活の中で特段意識されることは少ないが、頭頂部から手足の指先まで、皮膚の感覚は常に働いている。この感覚に不快感を与えないことは、私たちが何…

感情の探究(II):アダム・スミス、『ミッドサマー』

前回の感情の探究(I)では「共感」という現象を軸に、「自己」の境界の曖昧さについて述べ、その曖昧さが生み出すものの一例として芸術を挙げた。今回は、共同体について論じる。それは、共感という現象が、共同体に深く関わっているからだ。ここでの共同体…

感情の探究(I)

「共感」というのは不思議な現象だ。物質的には隔たりがあるはずの他者と、私たちは感情を共有することができる。喜んでいる人を前にして何となく嬉しくなったり、悲しんでいる人を前にして何となく心苦しくなったりするのが、人間の常だろう。もちろん共感…

(主観的な)時間と芸術ついての試論

この文章は、現代人の生にとって根本的な主題である(少なくとも私にとってはそのように感じられる)「時間」と「芸術」について述べたものである。ここでの「時間」とは、個々人に内在する主観的な時間感覚のことであり、客観的な指標としての時間ではない…