マダン

マダン。川崎の韓国料理。土曜日の夜、まだ早い時間に、東口の仲見世通りを歩いていた。人は少なく、空いている店も多くはない。韓国料理屋を探していたのだけれど、よい面構えのお店には出会えず、そろそろ引き返そうと思った頃合いに、そのお店はあった。邂逅。丸っこい木の看板に、大きめのハングルが二文字、優しい字体で書かれている。「マダン」。お店の外壁は木で、ドアの横には二本、くねくねした木の枝(枝というには少し太い)が生えている。どちらの枝にも顔が彫ってあるが、人の顔というよりは魔除けの顔。この二人がいる限り、呼び込みのバイトは必要ないはず。角地の一階にあるマダンは、角が少し削れていて、その削れた面(麺)にメニューを何品か紹介するパネルが貼ってあった。食べたいのはジャジャン麺。

 

赤い吸い殻入れを横目に、店のドアを引く。中に入ると両脇はお座敷になっていて、お座敷ゾーンからは楽しい軒が飛び出している。真ん中には縦にテーブルが並び、予約をしていない私たちはその手前側に案内された。大食いの四人が焼肉を貪り食べることもできるテーブルに、二人で座る。対面。角ばった木の椅子は、見た目より座り心地がいい。メニューを見ていると、すぐにドリンクのオーダーを聞かれる。おばさんは、テーブルの上に飲み物のメニューが無いことに気づいて、メニューを探しに引き返していった。

 

テーブルの上には、「スマホで注文できます!」というモバイルオーダーの案内(パウチ加工)もあったけれど、その手順をこなすのに必要なQRコードは、私たちに配られていなかった。口頭で注文すると間違えるかもしれないからスマホで注文するなんて、人はよほどロボットに近づきたいらしい。人間が効率化の夢をみるなら、ロボットは非効率化の夢をみるのかもしれない。ロボットだって、新宿御苑の芝生で、桜をみながらごろごろしたい。だから人間は、ロボットになりたいがあまり、ロボットの夢を体現することに注力する。倒錯的な喜び。だけどおばさんは、私たちの注文を、しわくちゃになったレシートの裏に書き留めていたから、ロボットになることには関心がないみたいだった。

 

初めて飲んだスジョンガというシナモンが香るジュースは、メニュー表のソフトドリンク欄のトップを飾っているだけあって、さすがに美味しかった。しつこすぎない爽やかな甘さは、食事のお供に丁度いい。あなたが頼んだボンボンジュースの梨味もだいぶ美味しかったけれど、ご飯を食べながら飲むジュースでは無いなと密かに思った(現に食事中にはあまり飲んでいなかった)。果肉の入ったそのジュースは、遠い夏の記憶を呼び起こしてくれる気がする。果肉の一粒一粒が記憶の断片。記憶を飲んでいる。すぐに口の中で溶けてしまう小さな記憶たち。ボンボンジュースを飲むあなたの横顔は、どこか遠くを見つめている。

 

六品のキムチをほおばっていると、主役のプデチゲ鍋が訪れる。まだ麺はブロックの状態のままだから、時間が必要。店のテレビの液晶では、池上彰が知識をしゃべっていた。池上彰は、寝るときはちゃんとパジャマに着替えて、ふかふかのベッドで眠る。下手をすると、ナイトキャップを被っているのかも。でもこんなイメージは、皆が作り上げた「池上彰」という物知り人物の概念の延長線上でしかなかった。頭の中で、「池上彰」という概念が展開しはじめ、その生活を急ピッチでつくりあげている。休みの日の行動は靄に包まれていて、いまいち上手に想像できない。おばさんは、時折テーブルに来て、プデチゲ鍋をかき混ぜてくれた。

 

ジャジャン麺のほうはセルフでかき混ぜるシステムになってたけれど、私のやり方が悪かったのか、麺が塊になって上手く取り分けられず、おばさんにハサミで切ってもらった。一回ハサミを入れると、もちもちしたジャジャン麺の塊が、綺麗に二人分に分かれる。ジャジャン麺をようやく取り分けると、あなたはプデチゲ鍋を取り分け終えていてくれて、テーブルは麺で埋め尽くされた。二種類の麺は食感が全然違うから、競合する心配は無いけれど。ジャジャン麺は何でも相談に乗ってくれる友達で、プデチゲのほうは口数が多い奴。でもプデチゲの口数の多さに飽き飽きしてしまったのか、ジャジャン麺は早々にいなくなってしまった。テーブルに残されたのは、私たちとプデチゲと六人のキムチ。ジャジャン麺がいなくなったあとの場は、少しだけ殺伐としていた。

 

プデチゲの程よい辛さギリギリのスープは美味しくて、食欲を掻きたててくれたものの、鍋に居座るソーセージ・スパム・ベーコンの三兄弟は、私の胃を着々と重くする。満腹になるにつれて、骨盤が少しずつ後ろに倒れて、姿勢が悪くなった。鍋の中の孤島である豆腐は、終盤になっても熱を帯びていて、食べる人の気を引き締める。熱い豆腐に苦戦する人、それを観察する人。

2月22日

今日は2月22日。2が三つ続いている。半角数字と漢数字を同居させる文章。もし自分が半角数字だったら、漢数字のことはうざったく思うだろうし、逆も然り。さらに事柄を複雑にさせるのは全角数字の存在。基本的に全角数字は使わないようにしているけど、ときどき全角数字で統一させたほうが収まりのよい書式がある。全角数字を使うと安心する。全角数字で住所の番地を書いたり、電話番号を書くことは、とても贅沢だと思う。今日は2月22日。半角の数字は冷たいけれど、全角の数字は温かい。「2月」はとても寒い月、「2月」は家の中で温まる月。いずれにせよ春が待ち遠しい。

 

春と聞いて思い出すのは、目黒の美術館。名前が思い出せない。寄生虫館とは反対側の、駅の東側にある美術館。何年か前の春、その美術館の庭園にいて寝転がっていたのを覚えている。芝生の上で。ちょっと風は強かったけれど、日差しは暖かくて、少し湿った芝生を背面に感じながら、寝転んでいた。感染症が流行る前の、最後の春。あの日差しの感覚、もう何もしなくていい感覚、それが春の休日の感覚だった。春を待っている。春の休日を待っている。

 

待つことは色々ある。一番よく待っているのは電車。最寄駅のプラットフォームは外なので(地下ではない)、今の時期は風が強くて寒い。けど待っている時間はあまり嫌いじゃなくて、特に何かするわけでもなく、ずっと前の景色を眺めている。覚えている曲を頭の中で流すと、すぐに数分経ってしまうので、待ち時間は苦ではない。昔より、並んでいる人の間隔も広がった気はする(ソーシャルディスタンス?)。仮に踊りたくなったとしても、周りの人にぶつからずにすむという安心感があるから、楽しく音楽を流しながら待てる。窮屈な場所で音楽のことを考えたくはない。

 

窮屈な場所はどこか。地下室。のある家に住んだことはないが、地下室のことはよく知っている。地下室に監禁された人の、再現ドラマのようなものを見たせいかもしれない。地下室で過ごす時間、何もない時間、暗闇の中で過ごす時間をいつも想像していた。ふと思い出したのは『パラサイト』のワンシーン。地下室に閉じ込められた男。パラサイトは、視覚のなかの触覚性みたいなものを大事にしていてよかった。色んなものに触る映画。壁の触り心地が良かった映画。

 

秀和のマンションを見ると壁を触りたくなる。あのザラザラとした壁が、ビンテージマンションのイメージ。現代であんな壁の建物を建ててはいけない。あの壁は人を傷つけるかもしれないから。触って楽しい壁は、どんどん減ってきている気がする。人間は触覚の塊でしかないのだから、もっと触り心地を探求すればいいのに。

みかん

東京駅八重洲口のトイレには、みかんがあった。東京の狭いトイレ。並んだ小便器の間にビニール袋が置いてあって、その中にはみかんが十個ほど入っていた。もちろん正確な数は数えていないが、3x3よりも少し多い気がしたので、十個ほど。その日は三が日の最終日だったので、帰省して実家から持ち帰ったみかんなのだろうか、新幹線でお酒を飲み過ぎて置いてきてしまったのか、それとも親の優しさが重過ぎたのか、色々なイメージがかけめぐり、トイレをあとにした。そのみかんは、蜜柑ではなかった。ミカンでもないみかん。みかんは触ると美味しさが分かる。空気のたくさん入ったみかんは不味いし、救いようがないけど、あのしわしわとした実は触り心地がいい。きっとみかんを食べたことが無かったら、あのみかんも美味しく感じるはずで、みかん評論家でもないのに美味しいみかんの理想像が口の中にあることに驚く。アルミ缶の上にあるみかん、は人生で最初に知ったかもしれないダジャレだった。

 

ダジャレで笑うとき、何について笑っているのかが分からない。アルミ缶とあるみかんはイントネーションが全然違っていて、一度頭のなかで文字に変換しないと両者の一致には気づくことができないはずだ。だから人はダジャレを言うときに、「俺たちは文字が読めるんだぞ」という高揚感を共有しているのかもしれない。文字を知らなかったらダジャレは面白くないのだから。あるみかんのうえにあるみかん、と文字で書いてもそれは自明すぎて全く面白くない。語ることと書くことの間には、私たちが思っている以上の溝があるようだ。会議で議事録を書いていると、会議の冗長さに驚く。

 

冗長さの「冗」は、上にかっこの片割れ[が被さっているようで可愛いし、その相方]も連れてきたくなる。引用した文章の省略に使われる[…]は魅惑的で、タップしたら省略した部分が浮き出てきたら良いのに、と時々思う。冗長の冗は冗談の冗でもあり、ダジャレは冗談で、文章が渦を巻きながら循環している。パリの凱旋門にはエレベーターが無くて、螺旋階段を登らなければいけなかった。上から見た螺旋階段がとても綺麗で、そのせいか凱旋門の屋上から見た景色の記憶はほとんどない。頑張ったら思い出せる気もするけど、それはどっかでみたパリの映像や写真の寄せ集めでしかなくて、螺旋階段を登り切って屋上に出たあとの記憶は真っ白な光に包み込まれている。その光のスクリーンを背景に、映像や写真の寄せ集めがパノラマを構成して、After Effectsでやった2D写真から3Dの映像を作り出すあの作業画面を思い起こさせた。世界はAfter Effectsで出来ている。

 

旅先で写真を撮ると、写真の引力はすごくて、帰った後の記憶がその写真に引っ張られるようになる。だから旅行中はなるべく写真を撮らないし、写真を撮るときはその旅行の空気を含み込んだものでなければいけない。テンションが高いのにテンションが低い写真や、テンションが低いのにテンションが高い写真を無理やり撮ると、あとから見返したときに訳が分からなくなってしまう。そこに残っているのは、その写真と「私は〇〇に行きました」という事実だけで、旅行中の時間は綺麗に抽象化され切り捨てられる。しかし私たちは、旅行中の時間を過ごすために旅行に行くのであり、写真と事実を集めに行くわけではない。だから旅行中の時間を上手く持ち帰ることについては、慎重に考えなければいけない気がする。身体の気分に合った写真をもっと撮れるようになりたい。

2022

年が明けたので文章を書く。最近は考えながら文章を書くのが嫌で、何も考えずに書くようにしている。ただぼーっとしながら、パソコンのキーボードの上で手が動いているだけ。キーボードの上の指の動きは軽やかで、踊っているようにも見える。踊りはなるべく止めたくないので、ただただ文章が流れていき、無意味な文章が綴られていく。書くことには詰まるけど、その場合は詰まっていることを正直にそのまま書けば良いだけで、だから困ることはない。もちろん文章を書くからには、何かしら有意味なものを作り出したいけど、そのモチベーションは年々薄れてきている気がする。目の前にあるのはモニター、その横には時計があり、時間を教えてくれる。とは言ってもデジタル時計なので、無機質にただただ数字が増えているだけで、正直時間が経過しているという感覚はない。その時計が教えてくれるのは、走っている選手のスナップショットだけで、あの軽やかな跳躍は全く伝えない。だから見ていて疲れないし、面白くもない。

 

午前は駅伝が放送されていたはずだが、寝ていたので当然観ていない。昨日はサッカーを観た。楽しかった。さっきもテレビをつけたらサッカーをやっていた。高校サッカー。グラウンドが汚かった。テレビ神奈川。神奈川生まれで、長いこと神奈川に住んできたせいか、神奈川には思い入れがある。tvkもよく観ている。ただ、神奈川が何の川なのかは未だに分からないし、個人的には鶴見川が一番神奈川を代表する川だと思い込んでいる。綱島と大倉山の間の川。東横線から見える川が好きで、特に多摩川。新丸子と多摩川の間で、多摩川を通ると急に景色が開ける。スマホを夢中に操作していた人たちのうち何人かが、ふと顔を上げてあたりを見渡す。あの場で共有される時間が好きだ。

 

勢いだけで、文章を書いていると、当然どこに帰着するかは分からない。あてもない散歩のよう。だけど散歩のときは大体の方角は分かってるし、それと一緒でこの文章もおおまかな方向性は掴めているのかもしれない。何かを即興でやるときには、だいたいの行き先の予感みたいなものは必ずある。最近はキーボードが不調なのが悩みで、「あ」を入力するとときどき二連続で「ああ」と入力されてしまう。最初は、自分の小指に変な癖がついて勝手に二重で入力しているのかと思っていたけれども、どうもこれは機械の不調らしい。もう余計な「あ」を消すことには何とも思わなくなってきたし、実際ここに来るまで何十回も消しているのだけれども、この余計な「あ」によって文章のリズムが変わっているのは間違いない。おそらくこの不調が無ければ、ここまでの文章は大きく変わっているはずだ。即興でものを書くこととは、そういうこと。

 

このような試みをし始めたのは、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』を読んだことがきっかけになっているのかもしれない。ケルアックは、三週間でその本を書き上げたと言われているが、そのときタイプライターをノンストップで打ち続けるため、紙を繋げてトイレットペーパーのようにしていたと言う。だから、『オン・ザ・ロード』を読むとその呼吸がありありと伝わってくるし、あんな文章を書きたいと心底思わせてくれる。おそらくケルアックとの違いは、日本語だと文章をいちいち変換しなければいけないということで、だから英語のようにスピーディーには書けない。だけどその変換の手間が何よりも愛しかったりもする。変換ができること、漢字を選べること、ここに自由を感じるし、小学生低学年の頃に漢字を覚えることで少しずつ世界が広がっていったあの感覚、を未だに覚えている。

 

パソコンで物を書くスピードは丁度いい。手書きだと疲れてしまうし、書いている間に飽きてしまう。パソコンなら飽きる前にどんどん文章を作り出せる。画面を眺めながら、文字が一文字ずつ生成されていくのは見てて心地よいし、変換するときに文字が、ひらがなが、変身するのは面白い。実際にそれは一瞬のうちに起こってしまうので、それを楽しむ暇は無いのだけれども、おそらく無意識のうちにそれらの仕掛けが、文字を入力する人を飽きさせないようにしれくれているのだろう。パソコンのある時代に生まれてきたことは奇跡で、無かったら文章は書いていなかったかもしれない。

 

そもそもパソコンという名称自体が古くなっている気もする。パソコン、と聞くと思い出すのはパソコン教室。昔は街中でよく見かけた気がするが、最近は見ない。初めてフロッピーディスクを手にした小学校の授業を覚えている。ペイントで何か絵を書いて、それをフロッピーディスクに保存した。その上に貼ってある白いシールに、クラス出席番号名前を書いた。クラスのフロッピーディスクはまとめられて、一つのケースにしまわれていた。コンピューター教室の床はどの学校も一緒だ。固くも柔らかくもない絨毯。

 

昔、コンピューター教室に買ったばかりのイヤフォンを忘れたことがあった。昼休みに探しに戻ると、それは無くなっていた。普段からあまり物を無くさない、もしくは無くしたものの事は忘れてしまう。ヨーロッパに行ったときはウォークマンを無くした。おそらくレンタカーの中に忘れてしまったのだが、レンタカー屋に問い合わせても見つからなかった。誰かが使っているならそれで良い。川に落とすよりは。多摩川、神奈川、鶴見川。三文字の川と三本の線。「川」という漢字を見て連想する川。流れに浸りたい川。「三」を90度回転させるだけでは「川」にならない。この少しのカーブが自然とのつながりになる。きわめて人工的な「三」から、大地の「川」へ。少しずつ、自然の中に入っていく。明日は戸隠に行く。

言語の難しさ

 言語を使う、とはどういうことか。それは、言葉を通して情報を吸収し、言葉を用いて人に何かを伝えるということだ。私たちは日常的に言語を使っているが、その作業は常に上手くいくわけではない。ここでは「読むこと」を切り口に、言語を扱うことの難しさについて考えてみたい。

 

 私たちは日々何かを読んでいる。ニュースの記事やSNSの投稿、仕事のメールや文庫本など、その例を挙げればキリがない。何より今、あなたはこの文章を読んでいる。文章を読むとは、「この文には何が書かれているのか?」という解釈を行なっていくことだ。文章に限らず、人に直接話しかけられた時も、私たちはその人の言葉を「読み」解いている。では、「読むこと」の難しさとは何か。

 読む際には、まずその文が、何を「意味」しているのかを明らかにしなければいけない。ここで重要なのは、その「意味」が読み手によって与えられるということである。すなわち、ある文章が理解されるためには、その文章を構成する単語それぞれの意味を、読み手が事前に了解していなければならない。例えば、「りんご」という単語を理解できるのは、読み手がその果物にまつわる何らかの記憶を持っているからである。つまり「りんご」という言葉は、その人が「りんご」を見た経験、食べた経験に下支えされている。その人の人生経験が、単語の意味を成り立たせているのだ。

 そのため同じ単語でも、その単語を受けて想起するものは当然、人によって異なる。極端な例を挙げるのであれば、料理人にとっての「りんご」、植物学者にとっての「りんご」、画家にとっての「りんご」、これらの「りんご」は全て異なった経験によって裏打ちされている。彼らがその言葉を聞いたときに、瞬時に浮かび上がる感覚は、決して同じものではないだろう。

 この事を踏まえた上で、「読むこと」の難しさは明らかになる。私たちは文章を読む際に、その文と自らの経験を突き合わせて「意味」を生み出すが、その「意味」が文章の書かれた意図と合致するとは限らない。つまり読み手は常に、書き手と食い違ってしまう危険性を孕んでいる。これは反転させると「書くこと」の難しさ、人にものを伝えることの難しさ、でもある。その難易度は、文章が抽象的であればあるほど高くなる。理由は、その文章の意味を支える経験が、一般的な日常生活から外れてくるからだ。例えば、哲学でよく使われる「自我」や「実体」といった単語は、まず日常生活には登場しない。これらの抽象的な単語は、日常の経験というより、これまでの哲学者がどのようにその単語を使用してきたか、という「歴史」によって支えられている。つまり、(哲学に限らず)抽象的な言語の理解には、その「歴史」が入り込んできてしまうのだ*1。人々が必ずしも、同じ歴史観を共有しているわけではないことは、言うまでもないだろう。書き手と読み手の間には、常にそういった緊張関係がある。私が今書いているこの文章が、必ずしも(私の想定した形で)あなたに届くとは限らない。書き手は一種の「賭け」に出る必要がある。

 

 私たちは通常、そうした言葉の食い違いを避けるため、コミュニティごとに言語を使い分けている。家族との間で交わされる言葉、職場で交わされる言葉、友人と交わす言葉、これらは全て異なりうる。それぞれに特有の言語のルールが存在するのだ。そのルールとは、コミュニティ内で共有された記憶・体験に従うことである。私たちは無意識的にそのルールに従っており、それはつまり「空気を読む」ことでもある。

 人はその言葉の届け先を想定しながら、文章を書く(もしくは発言する)。これは、マーケティングのようなものだ。顧客層を考えながら商品が開発されるように、読み手に寄り添いながら文章は書かれていく。もしくは、聞き手のことを考えながら、発言は行われる。対話とは、このような「考慮」の上で初めて成り立つ。もちろんこの考慮が、常に成功に終わるとは限らない*2。しかしそれでも私たちは、この考慮を自然に行いあえる空間にいる限り、言語の難しさを忘れることができる。だから人はしばしば、言語が(上述したように)複雑なものであることを忘れてしまう。

 

 最後に付け加えるのであれば、このような「言語の難しさ」が特に露呈するのは「政治」の場面である。なぜなら政治家は、自らの言葉を国民全員が理解できるように発信せねばならないからだ。そこで想定されている読み手/聞き手の範囲は、限りなく広い。特に「政治的な言語」がまともに共有されていない日本において、その困難は計り知れないだろう。どういうことか。

 民主主義における政治家は、自身の業務をプロとして遂行すると共に、その内容を国民に言葉で伝えなければいけない。しかし日本では、後者の言語化のプロセスが疎かにされてきた。というのも、民主主義という政治の仕組みも、日本国憲法も、それは常に日本の「外部」から到来したものとして受容されたからだ。現行の政治体制は、「なぜ民主主義か」「政治は何を目指すのか」といった指標が日本語で上手く共有されないまま、なんとなく国民の生活に馴染んできた。だから日本は、本当の意味での「政治的な言語」を欠いている。それは、政治とはこのようにあるべき、という「建前」が上手く国民に共有されていない、ということでもある。本来政治の中心に位置すべき、言葉の力が日本では大変弱く、その弱さこそが日本の政治の「空気」となってしまった。それは、何となく統治を行なっている、という空気感である。そしてこの「空気」はまさに、あるべき「政治的な言語」が十分に構築・共有されていないことによって作り出されている。日本特有の政治の問題の多くが、その根っこの部分において、「言語の難しさ」と関わっているのだ。

*1:常に既に歴史と関わっていること、関わらざるを得ないこと、これこそが学問の特徴である。

*2:なおこの記事は、哲学に「少し」興味がある読み手を想定して書かれている。

触ること、触れること

 五感の中でも、触覚の果たす役割はどこか特権的だ。他の感覚と異なり、触覚は身体全体と関わっている。日常生活の中で特段意識されることは少ないが、頭頂部から手足の指先まで、皮膚の感覚は常に働いている。この感覚に不快感を与えないことは、私たちが何をする上でも重要だ。適切な温度調節や良い生地の服(肌着)の着用は、欠かせない。数百年前と比較すると現代は、遥かに触覚に負担をかけなくて良い時代になったと言えるだろう。それゆえ他の五感と比較すると、触覚に積極的な注意が払われることはあまり多くない。

 

 とはいえ、触覚は時代に合わせて大きな役割を果たし続けている。コンピュータの爆発的な普及にはGUIグラフィカルユーザーインターフェース)の開発が不可欠であった。これは言わば、「触るように」システムを操作できる様式のことである。今ではマウスだけでなく、タッチスクリーンを通じて、文字通り触って操作ができるようになった。スマホは、触るものであるが故、気持ちよく操作が出来るし、ついつい長時間いじってしまうのだろう。人は道具に触れ、それを自分の身体の延長として使用する。

 

 また、性行為は触覚無しには考えられない。それは、触れたい/触れられたい欲望の具現化であるとも言える。奇妙な言い方ではあるが、愛は触覚の上に成り立っているのだ。これは、恋人同士に限った話ではない。歴史的にみても人間は、愛や信頼といった無形の絆を、握手やハグなどの身体的接触と共に築いてきた。

 

 触ることや触れること、これらは時に犯罪になりうるし、現代では非常にプライベートな領域だと見なされている。コロナ禍では、身体的接触がタブーなものとなり、その傾向がさらに強まった。だからこそ私は、今まで以上に、個々人が触覚について考える必要が出てきたように思う。まずは、自分の着ている服の着心地や、身の回りのものの触り心地を確かめるだけでもよい。皮膚の各部位ごとに、感じ方は異なるはずだ。

 

 人間は有機的な存在であり、機械のように交換可能なパーツから成り立っているわけではない。すなわち人間は、どんな時も一つの「身体」として行動しているのであって、それは静かにものを考えているときも同様である。生活の中心として触覚を意識することは、日常に全身を巻き込んであげることだ。皮膚に着目すると、その奥にある筋肉や骨のつながりも見えてくるようになる。重力に対して自然な骨の位置を取れば、次第に身体も軽くなっていく。

 

 いくら技術が発達しようと、人間の根幹が身体的な次元であることに変わりはない。この無意識の領域を少し意識化してあげるのは、社会環境の変化が激しい時代ならではの処世術ではないだろうか。

感情の探究(II):アダム・スミス、『ミッドサマー』

 前回の感情の探究(I)では「共感」という現象を軸に、「自己」の境界の曖昧さについて述べ、その曖昧さが生み出すものの一例として芸術を挙げた。今回は、共同体について論じる。それは、共感という現象が、共同体に深く関わっているからだ。ここでの共同体とは、私たちが生きていく上で不可欠なものであり、「社会」や「村」と言い換えても差し支え無いが、とにかく人間が「共に生きる」ことで生じる領域である。

 

 社会の根幹に、「共感」という極めて感情的な現象を据えた思想家としてアダム・スミスが挙げられる。スミスは経済学を基礎付けた古典『国富論』(1776)の著者として有名だが、道徳哲学者としても知られており、1759年に『道徳感情論』を公刊している。『国富論』が「市場」や「分業」を出発点とし、「社会」を豊かにするための原理を考えた著作であるならば、『道徳感情論』はその「社会」を構成する人間の本性についての考察だ。以下は『道徳感情論』冒頭の引用である。

 

 いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力が含まれている。人間がそれから受け取るものは、それを眺めることによって得られる喜びの他に何もない。哀れみや同情がこの種のもので、他人の苦悩を目の当たりにし、事態をくっきりと認識したときに感じる情動に他ならない。我々がしばしば他人の悲哀から悲しみを引き出すという事実は、例証するまでもなく明らかである。*1

 

 ここで述べられているのは、いわゆる人間の共感の力であり、その感情は「手の施しようがない悪党や、社会の法のもっとも冷酷かつ常習的な侵犯者でされ、それをまったくもたないわけではない*2」。このように『道徳感情論』では、人間の社会的な側面が分析されている。

 『国富論』と『道徳感情論』の両著作について考えるとき、それらは表裏一体の関係にあると言えるのではないだろうか。すなわち、『国富論』における「市場」が利己的な個人を前提にしているとすれば、『道徳感情論』はその「市場」の論理の外部である個人の道徳的な側面を示している。お互いが補完的な役割を担いながら、アダム・スミスの思想は形成されているのだ。

 しかしその片面のみが取り出され、リカードマルサスを経由したのち、近代経済学が成立した。もちろん経済学という学問において、『道徳感情論』的な人間性の探究の余地は残されていない*3。学問としての独立性を獲得したことで、経済学は資本主義を下支えする強力な理論となったのだ。こうしてマルクスの言う人間の「疎外」が、学問的にも表出したと言えるだろう。次第に人間は、利己的で資本の論理に従順な存在として、社会を構成するようになった。

 

 現代において、共同体の次元に属していたはずの「感情」や「共感」といった要素は、「マーケティング」という名の下で、資本主義に取り込まれてしまう。現代は、感情的欲求をお金で満たせる時代だ。しかし、それが達成されるのは、お金を払うという限定的な条件においてのみである。その満足感は一時的なものであり、人間の本能から生じた無条件的な紐帯(社会の結びつき)には敵わない。つまり、私たちはそういった感情的な紐帯を欲する本能を持ち合わせており、その本能は金銭だけでは満たしきれない。億万長者が必ずしも幸福でないのは、そのためだ。私たちには、家族や利害関係のない友人など、無条件的な「共同体」の感覚が必要である*4

 しかしながら、近代化(ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行)と共に、私たちの感情的な本能を満たせる場は少しずつ減っているのが現状だ。結果として、物質的には恵まれながらも、「孤独」を感じやすい社会が成立する。ここでの「孤独」とは、人間の感情的な本能が、断続的にしか満たされない状態である。

 

 こうした実情を寓話的に描いた映画が『ミッドサマー』*5だ。この映画は、主人公ダニーの「救済」がテーマとなっている。ネタバレになってしまうので詳述はしないが、ダニーは感情的に不安定であり、彼女のコミュニティ内では自身の感情を共有したいという欲望が達成されない。一方、彼女らが訪れるホルガ村は、近代的な社会とは対照的だ。そこでは、「個」より「共」の論理が先行しており、近代的な自己の枠組みが存在していない。(感情を共有するシーンは印象的である。)故にホルガ村は、ダニーにとっての救済の地となるのであった。

 先ほど『ミッドサマー』を「寓話的」と述べたのには理由がある。それはこの作品が、資本主義のイデオロギーが支配的となった社会が必然的に引き起こす問題を、明らかにするからだ。その問題とは、前述した通り「孤独」の表れである。主人公ダニーの「孤独」は物語的に誇張されすぎているのかもしれないが、それでも私たちは彼女の苦しみに共感することができる。彼女の「孤独」によって、現代社会にありふれた精神構造が示されているのだ。

 

 ホルガ村とは違った形で、すなわち近代的な主体を維持しながら、共同体の感覚を再構築することが現代の課題である。オンラインサロンをはじめとして、中小規模のオルタナティブなコミュニティを作る試みは、至る所で行われている。その是非はここで問わないが、ある層の人々にとって心の支えとなっていることは、間違いない。そういったコミュニティは、今後よりいっそう不可欠になっていくだろう。

 人間はいつの時代も、感情の共有を求めている。この欲求は共同体の地盤であるし、前回の内容を踏まえるのであれば、芸術の地盤でもある。近代に成立した資本主義は、その発展のために感情的なものを捨象せねばならなかった。「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい」という有名なスローガンが指摘する通り*6、資本制は現在私たちに与えられた唯一の可能性である。しかしそれでも私たちは、その起源まで遡り資本主義の外部について考えることができるのだ。真に悲観的になるべきなのは、その起源が忘却されたときだろう。

*1:アダム・スミス道徳感情論』、高哲男訳、講談社学術文庫、2013年、30頁。

*2:同上。

*3:行動経済学で扱われる心理や感情は、それが経済活動に結びつく限りでしか有効にならない。

*4:付け加えるのであれば、億万長者が仮に家族や友人関係に恵まれていたとしても、彼/彼女自身が資本主義の論理を強く内面化している場合、「共同体」の感覚は得にくい。本能的な次元ではそういった人間関係を求めつつも、頭(理性)では資本を第一に考えているという齟齬が発生するためである。

*5:https://www.phantom-film.com/midsommar/

*6:フレドリック・ジェイムソン、マーク・フィッシャーを参照。